「ここに、裏緋寒(うらひかん)を……花嫁を連れてきなさい」
「ですが」 「竜糸の土地神さまである竜頭(りゅうず)さまが眠りつづけて身動きのとれないいま、半神の不在は致命的なのよ。神としてのちからを補うためにも、竜頭さまの番になることが叶う裏緋寒の乙女は欠かせないわ」里桜は自分よりあたまふたつ分おおきな星河に向けて、言い募る。
「竜神さまとの対話なら、里桜さまおひとりで問題な……」
「いままでならそうしていたわ! でも、それは傍に大樹(たいじゅ)さまがいたから安心してできたことなのよ。彼がいない状態で竜頭さまの夢の中へ思念を飛ばすなど、結界を自ら破るのと同じこと。大樹さまが消失されたのが知られれば、幽鬼どもはこの竜糸の地に押し寄せてくる。それを阻止するためにも……」 「生贄にするのか」 冷めきった声がふたりの間に割って入り、里桜と星河は目を見合わせる。 物音をたてることなく神殿内部に入ってきたその男は、夜を彷彿させる黒い外套を脱ぎ捨て、星河と同じ白い浄衣の姿になると、不本意そうに里桜の前に跪く。「――夜澄(やずみ)」
「この土地に暮らす乙女を竜神が眠る湖に捧げてまで、逆さ斎の里桜サマは幽鬼の魔手を退けたいご様子。そんなことをしても、竜頭は喜ばないぜ?」 「……それでも、大樹さまの穴を埋めることくらいならできるでしょう?」 「まあ、表緋寒(おもてひかん)の里桜サマのご命令なら、従いますけどね」 「夜澄!」星河に一喝されても夜澄は態度を変えない。土地神が眠る竜糸を実質上守護する代理神である里桜を支える立場にある桜月夜の守人のなかで、彼だけは竜頭のみに忠誠を誓いつづけている。彼の代理でしかない人間を敬うなど無駄だと一蹴しつつも、竜頭が愛する竜糸を護るためだと守人の任務をつづける夜澄の主張もわかるので、里桜はあえて怒りはしない。
「言葉が足りなかったようね。あたくしは裏緋寒の乙女を生贄にするつもりはなくてよ? とりあえず神殿に彼女をお招きしたいの。そうすれば、竜頭さまだって……」
――表と裏の緋寒桜が揃いしとき、隠れし土地神は桜蜜(おうみつ)を生み出す神嫁を欲して降臨する。 星河は里桜の意図に気づき、顔面を蒼白させる。「眠っている土地神を強引に起こそうというのか!」
ここ何百年も眠りつづけている竜糸の土地神を、目の前にいる少女は叩き起こそうとしているのだ。なんということ。
星河はあたまを押さえて蹲る。一時しのぎとはいえ、完全ではない竜神を地上に呼び戻すのは本来、望ましいことではない。下手をすれば土地神を統べるこの国の始祖神を引き継ぐ神皇(しんのう)家や天に棲まう不老不死の至高神にふたたび目くじらを立てられてしまう。自分が生まれる前のとばっちりを受けるのは避けたいものだ。だが、里桜のその言葉をきいて愕然とした星河とは裏腹に、夜澄の表情は晴れやかだ。おまけにふだんはなかなか見ることのない満面の笑みまで浮かべている。
「そうか、竜頭を地上に呼ぶのか! ならば俺は反対しないぞ。里桜サマのおっしゃるとおり、竜糸に暮らす少女のなかから裏緋寒の乙女を選び、竜頭の花嫁となるよう指導いたしましょう」
指導、という言葉は調教なのではないか、と唖然とする星河をよそに、里桜はにやりと笑う。
「あなたならそう言うと思ったわ。頼んだわね、夜澄」
まかせとけ、と勝ち誇った表情の夜澄に腕をとられ、星河は呆気なく里桜のまえから引きずり出されていく。
神になりきれない人間は恋をすると神力を増強するが、恋に破れるとその反動でちからを喪う。かつての清雅は桜蜜を出す水兎と恋に溺れ、彼女が忽然と姿を消したことに耐えられず人間としての姿を失ってしまった。もともと亡き集落の土地神である夜澄の場合はそのような制約が存在しない。それに、雨鷺は知らなかったが彼は竜糸の竜神よりも神威の高い雷神であるため、裏緋寒の乙女を奪ったところで至高神は咎めなかったのだ。「桜月夜の人間と裏緋寒の乙女の恋が禁忌、というのは聞いていました」 「だけど恋する気持ちは止められないですよね」 現在の裏緋寒の乙女として召喚された朱華はいま、雷神夜澄の花嫁として雲桜の集落を再建させようと必死になっている。 そして彼女の幼馴染で表緋寒であった九重が、覚醒した竜頭の愛玩花嫁として傍にいる。 この結末を至高神はひとまず是としているらしい。ずっと大陸を脅かしていた鬼神を冥穴へ封じ込めたふたりが心に決めたのだ、さすがに野暮なことはしないだろう。「あたしの場合は夜澄が雷神さまだったから素直に受け入れられたけど、雨鷺さんは」 「あの頃の至高神はもっと幼い子どもだったのよ」 恋を知らない少女に恋をさせ、その恋を取り上げて喜ぶようなところがあった。 けれど水兎の方が上手だった。恋する気持ちの強さを神に見せつけた。 だが、清雅はそのことを知ることもなく、人間としての姿を保てなくなったのだ。「さすがに申し訳ないと思ったのかしらね。今度は前世の記憶を残したまま転生させて、もう一度恋をしろ、ですって」 「それで?」 「朱華さまも見たでしょう?」 裏緋寒の乙女の侍女の座を得た雨鷺は桜月夜の守人と顔を合わせ、確信する。「事情を知る夜澄に気づかれたわ。兎の生まれ変わり、って」 「だけど二百年前なら夜澄は雲桜の土地神さまだったはずです。どうして桜月夜に彼がいたの?」 「それはね、そのとき鬼の襲来が竜糸の地で起こっていたの。術者がいなくなってしまったうえに、弟神の竜頭が眠ってしまったから仕方なく人手不足の神官の重要な地位を手伝っていたの」 だから照吏のような女性も桜月夜の守人として仕えていたのだと雨鷺は説明する。自分の時は侍女などいなかったのだ、照吏がいてくれたから辛うじて裏緋寒の乙女として竜糸の集落を守護するため淫らな試練にも耐
慟哭にも似た狼の遠吠えが北方から聞こえる。 自分と恋したことで死なせてしまったか弱き兎は雨にとけて、竜神と入れ替わるように湖の底で眠ってしまった。 残された男は桜月夜の守人としての役目を放棄し、竜糸から姿を消した。「さいしょから任務を放棄して水兎ちゃんを連れ去っていけば良かったのに」 不安定な竜糸の土地を治めるため、覚醒した竜頭は竜神として結界を張り直す。 この地に残った神官たちは大地震で崩れた神殿を建て直し、ひとびとを呼び戻した。照吏以外いちどは離れていた女性神官、巫女たちも竜神に仕えるべくふたたび集ってきた。 取り急ぎ、巫女たちのなかから次の裏緋寒の乙女が選ばれることになるだろう。その際に竜神が若い娘よりも熟女が好きだと公言したのは意外だったが…… それでも気まぐれな至高神は、また恋を知らない兎をどこかから召喚するのだろうか。「あんがい照吏が竜頭に見初められたりして」 「ありえない。僕は熟女趣味の竜神からすれば圏外だ。神官として神殿に呼ばれただけでそもそも桜月夜の守人になることもなかったんだぞ」 どこか遠くを見つめている夜澄の前で照吏は苦笑する。 至高神はなぜ水兎と清雅の恋を認めなかったのだろう。禁忌だからというその言葉だけでは語り切れない謎がいまも残されている。 だが、竜神が覚醒したことで過去に姿を消した表裏の緋寒桜の存在はすっかり忘れ去られていた。「咲き誇る桜だけでなく、枯れる桜もあるのが常だ」 「水兎ちゃんは枯れたわけじゃない。散ったんだよ」 夜澄とどこかかみ合わない会話をしながら、照吏は心の中で祈ることしかできないのだ。 ――自ら至高神に自白して消えてしまった彼女と、それを知らされて心を壊した彼の恋が、報われたものであることを。 * * * 雪深い蒼き谷にかつて存在していた廃集落で語り継がれた伝承を思い出し、雨鷺(うさぎ)は腑に落ちる。 桜月夜と裏緋寒の恋は禁忌だと、至高神は神殿の人間に伝えていた。裏緋寒の乙
激しい雨が降り注ぐなか、轟音が鳴り響く。神の怒りを彷彿させるひどい揺れが竜糸の土地を襲った。 地鳴りの音で目を覚ました清雅は隣ですやすや眠っていたはずの愛すべき女性の姿が忽然と消えていることに気づき、愕然とする。「水兎?」 落雷と地震で神殿内部がボロボロと崩壊していく。神官たちは無事なのだろうか。ほかの桜月夜は……?「何をぼぉっとしている! 逃げろ!」 「照吏?」 「――裏緋寒の乙女が裏切ったんだ。だから神々が怒って……」 「莫迦な! 水兎はついさきまでここにいたんだ! 俺と一緒に……」 何が起こっているのか理解できないまま、照吏に連れ出されて清雅は神殿の外へ出る。 そこには夜澄と、銀髪の美丈夫がむすっとした表情で清雅を見つめていた。『我の花嫁を寝取ったのはお主か』 その一言で清雅は確信する。「竜神――竜頭」 『いかにも』 清雅が水兎の純潔を奪ったことで、神々が過剰反応しているのだと竜頭は機嫌悪そうに告げる。 夜澄がいままでのことを説明してくれたのだろう、竜頭はうんざりした表情を見せながら清雅たちを見つめる。『周りがうるさくてどうにも眠れぬ。我が竜糸に表裏の緋寒桜は咲いておらず代理神も不在となれば、仕方なしに起き上がるしかない……』 そして、悔しいがな、と面倒くさそうに吐き捨てて竜頭はひょいと手をかざす。 一瞬にして地鳴りが止み、ぐわんぐわんと揺れていた地面が静まり返った。 だが、激しい雨は変わらず降り続いており、叩きつけるように桜月夜の守人たちを濡らしていく。 清雅は竜頭の言葉を反芻しながらぽつりと呟く。「表裏の緋寒桜が咲いていない……?」 冥界の邪神が表緋寒の代理神を乗っ取り殺めてしまったのは記憶に新しい。だが、裏緋寒の乙女である水兎のことまでまるで存在していないかのように口にする竜頭に清雅は首を傾げる。ほんのついさっきまで寝台で睦み合っていた彼女が、いない? 竜頭は清雅の途方に暮れた表情を前に呆れているようだった。
とても幸せだった。 恋しいと想ったひとに愛を返されて、水兎は満足した。 たとえこの先、何があっても起こっても――……。『覚悟は決めたかえ?』 脳裡に囁かれて、水兎は夢から醒める。 清雅に抱かれ、心の底から結ばれて、水兎は竜神の愛玩花嫁の資格を失った。 その代償が何かは、もう理解している。「――はい、至高神さま」 恋を知らないまま召喚された裏緋寒の乙女は至高神に選ばれたにも関わらず、神嫁になることを拒んだ。 けして結ばれてはならぬと言われた桜月夜の守人と恋に堕ちたから。 水兎は哀れみの目を向けて来る至高神に、にっこりと微笑む。「恋する気持ちを教えていただき、ありがとうございました」 自分はこの恋に殉じる。だから竜神さまの花嫁にはなれない。 神罰に怯えるかと思えば、開き直ってそう応えた水兎の姿に至高神は目をまるくした。『ほんに、人間(ヒト)は愚かで面白いのう』 至高神の言葉とともに水兎の身体が宙に浮かぶ。清雅は腕のなかからちいさな水兎が姿を消そうとしているというのに、すやすやと安心しきった表情で眠っている。「……清雅さん、ごめんなさい」 そして、愛してくれてありがとう。 水兎が彼の額に口づけをすると、ちいさな花が咲く。「さよなら」 水兎は至高神の手を取り、竜神が眠る湖のうえへ転移する。 眠りつづけている竜神はこの地に悪しきモノたちが蔓延っていても起きようとしない。 臆病な竜神を叩き起こすため、至高神は禁忌を犯した裏緋寒の乙女を生贄にすることにした。 表緋寒の代理神はすでに冥界からやってきた邪神に生命を奪われ、いまは空位になっている。残された裏緋寒の乙女ももはや不要の存在である。なぜなら竜糸の緋寒桜は表と裏が揃わなければ意味がないのだから。『それがお主の落とし前のつけかたかえ』 「清雅さんは認めないと思いますけど」 『永き年月を過ごす桜月夜の守
清雅からの口づけを受けた水兎は感じたことのない気持ちよさに腰を抜かしていた。胸や秘芽など何度も唇で愛撫されたのに、けして自分の唇にふれることはなかった彼の舌は、とても甘い。もしかしたらこれが神々を悦ばせる桜蜜の味なのかもしれない。神聖なるものだけが味わえる甘露を狼神の末裔である彼から直に与えられたことで、水兎もまた味覚を得ることができたのだろう。「んっ、もっと、もっと…………っ」 「水兎。まさか桜蜜の味がわかるようになったのか?」 「甘くて、美味しいの。清雅の唾液……」 「俺の唾液よりも水兎が気持ち良くなって分泌させる桜蜜の方が甘いぞ?」 「ああん」 一糸まとわぬ姿で身体を寝台のうえに縫い付けられた水兎は清雅の愛撫を受けながら口づけに溺れている。何度も絶頂を味わわされて潤みきった瞳はほんものの兎のように色を赤くしていた。その姿にもっと啼かせたいと清雅が下半身を押しつけて来る。蜜に濡れた白い神衣に隠された彼の分身はすっかり勃ちあがっており、水兎の秘芽にふれていた。「あ……これ」 「挿入れるぞ――!」 「ン――……ッ!」 神衣を押し上げ、褌からはみ出した一物を蜜口にあてられたかと思えば、すぐに蜜壁を擦りたてながら最奥へ侵入してくる。太くて硬く熱いものが一息に挿入され、息が詰まりそうになるが、さんざん可愛がられた水兎の身体は待ちわびていたかのように収斂し、ひくひくと痙攣する。「あぁ、ぁぁっ……」 「痛いか?」 「へいき、です……あぁっ、清雅さん……口吸いして」 「……ああ」 純潔を散らしたばかりの乙女が淫らに接吻をねだる姿に清雅もまたごくりと唾を鳴らす。水兎と繋がってしまったという罪悪感よりも、ようやく手に入れられたという安心感の方が強かった。清雅はゆっくりと腰を動かしながら水兎の唇を啄みつづける。「んっ、はっ、あんっ」 「いいぞ……上手だ」 「清雅さん、に、調教された身体です……からっ!」 喘ぎながら気持ちをぶつけてくる水兎に、清雅が腰を振って応える。すっかり彼の形にされた膣内を何度も何度も抉られて、水兎は無意識のうちに桜蜜を全身の穴という穴から放出させる。甘い香りに酔いそうになりながら、ふたりはひとつになって言葉の応酬を続ける。「神々が放っておかないだけある……裏緋寒の乙女」 「あ、あぁっ!」 「このまま俺がぜんぶ喰らっ
水兎は恋を知らない。恋を知らない彼女は貴重な桜蜜を生み出す獲物として神々に望まれ裏緋寒の乙女になった。 裏緋寒の乙女は桜蜜を迸らせる愛玩花嫁となることで神と番う運命を決められており、神殿に仕える桜月夜の守人の手で淫らな調教を受けおんなになる。 ゆえに身体だけを桜月夜に任せる裏緋寒の乙女は官能に溺れていくことでこれが恋なのではないかと勘違いすることがある。 現に彼女も清雅の手で開発されていくにつれて、彼を心の底から受け入れていた。「蒼き谷の狼神さまは雪深き場所でしずかに土地を守護されていると聞きます。その末裔である清雅さんが土地神となる資格を有しながら桜月夜の守人として竜糸の地にいるのは至高神のせいでしょう? 守人が裏緋寒の乙女と恋することを一方的に禁じている理由もわからないのによく素直に従えますよね?」 「な」 「土地神よりも権威のある国造りの姐神が気まぐれに命じているようにも思えます。だってわたしはもう、清雅さんのことしか考えられない。竜糸の竜神様にこの身を捧げなくてはいけないと心の奥では理解していても、もう……」 縋るような水兎の瞳を前に清雅は何も言えなくなる。彼女が裏緋寒の乙女に選ばれなければきっと出逢うことはなかったであろうちいさな兎。狼神の血がか弱い獲物を求めているからなのか、いままでの裏緋寒の乙女とは異なる果敢なげな姿に目が離せなかった。それでいて凛とした、覚悟を決めた賢しい姿に惹かれていた。 彼女はずっと格闘していたのだろう。桜月夜の守人とのあいだで恋愛感情を抱くことは禁忌だと知って。眠れる竜神にその身を捧げるためだけに淫らな調教を恋しいひとに施されて。「冥界の悪しき小さき神々に嬲られる恐怖を目の当たりにして、痛感しました。早く抱いてください」 「だ、だが」 切羽詰まった表情の水兎を見ると、どこかやけっぱちになっているようにも見える。彼女の望み通り自分が純潔を奪うと、冥界の神々は引き下がるだろうが気難しい竜神が彼女を花嫁として受け入れるとは到底思えない。一夫多妻を悦ぶ物好きな神や寛容な神がいないわけではないが旧くから土地に棲まう神々は基本的に”つがい